八つ墓村 角川文庫

これはかなり古い作品で、横溝正史著、名探偵 金田一耕助が活躍する金田一耕助シリーズの中の一つです。
角川文庫版の初版発行は、昭和 46 (1971)年 4 月 30 日、
平成 8 年 9 月 25 日の改版で、昔は普通に使われていたけど今は人権上、人道上の関係で使わなくなった言葉が、少し改められました。
今回読んだものは、令和2年5月15日改版59版発行のものですが、改めたのは少しとのことでしたので、印象としては、今はテレビなどでは使わない放送禁止言葉がふつうに出てくるなという感じです。

横溝正史は1902年生まれで、戦後金田一耕助シリーズを次々に発表しブームとなり、1976年映画「犬神家の一族」市川崑監督 石坂浩二主演でブームが大爆発、以来数々の作品が映画やドラマ化され(今では見る機会はありませんがそれ以前にも映画は作られています)、多くの名監督のもと当時最も旬の俳優たちが金田一耕助を演じ、最近では2019年12月に NEWS の加藤シゲアキが演じたのも記憶に新しいですね。
1981年12月に亡くなっています。

この本は、いわゆる名探偵金田一耕助が難事件を解決していくという推理小説で、ブーム時代を知っている人は「たたりじゃ~」というセリフを聞いたら「八つ墓村のことだな」と思えるほど流行り、平成8年の改版から令和2年5月時点で、改版59版、今でも多くの人に読まれているロングセラーなんだなと、改めて驚かされました。

この作品で描かれている時代は、作中では昭和二十 X 年と書かれていますが、昭和25年前後と推察されます。
友人宅に下宿し、身寄りがなく孤児同然で育った神戸の会社員。
寺田辰弥 28 歳(のちに田治見辰弥)のもとに ある日、山陰岡山の山奥にある当時の金額で資産十数億という田治見家の縁者にあたるので後継ぎとして迎えたいとの話が舞い込み
田治見家に入ります。
八つ墓村という恐ろしい名前の由来、それに大きくかかわる田治見家、そして自分自身。
それを知るほどに自分の体に流れる血に恐れ、村人に自分の存在を受けいらてもらえていないことにおののき、この村に来てしまったことを後悔します。

事件の始まりは戦国時代に起こったある忌まわしい出来事で、
村人全員がその 400 年以上も前の出来事によって、現在も心が澱のようなもので覆われ暮らしています。
そして辰弥の村への到来とともに、その 400 年以上前の出来事につながっているかのような殺人事件が辰弥の周辺で次々に起こり、名探偵金田一耕助が事件のなぞ解きをしていくというあらすじです。
わたしは、この作品は過去に幾度か読みましたが、今回ひょんなことから一番新しい版を読む機会にめぐまれました。

久しぶりに読んでみましたが、読むまでは、最後に読んだ時から歳月がかなり経過していたのと、数々の映画版、ドラマ版も余さず見ているので、その作品ごとのストーリーや登場人物のキャラクターの微妙な違いに惑わされ、私の頭の中で、見事にどれがオリジナルかということがわからないくらいごちゃ混ぜになっていました。
今回読んでみて、改めて自分の頭の中で、物語の細かな情景や感情の推移、登場人物のキャラクター、それぞれのエピソードの出現の順序、時代背景、そしてオリジナルのストーリーなどなど、忘れていることや思い違いを整理でき、うれしい発見がたくさんありました。

登場人物はそれぞれち密な計算のもと描かれていると思うのですが、殺人犯以外の主だった登場人物は、それぞれ細かな性格は違いますが、おのおのが思いやりが深く、正しく、純心、純情で、すがすがしい。

登場人物の考えや他者へのセリフに対して、「この人すごく感じがいいなあ」とか、「すごい!」とか「えらいっ」とか、「なるほどこういう風にするのか」とか登場人物にあいの手を入れたり、関心したりと読んでるあいだじゅう良い意味で、わたしの頭に浮かんでは消えし、ストーリーが脱線することしばしばで、また、「清く正しく美しく」といったような、よく学校の校長先生の部屋にある、こういう人になりなさい的な墨書の額の到達点のような人々がそこかしこに描かれており、それぞれの人物像にさして違和感は感じなかったので、このような立派ですがすがしい人たちは実在したのだろうかと空想したりしました。

作中の昭和 25 年ごろの我が国に住む人々は、このような心で、日々暮らしていたのか、
それとも、作者横溝正史の作り上げた犯人以外のキャラクターを悪と対比させるために理想の人物像にあえてしたのか、はたまた横溝正史という人自身がそのような人であったか、もしくは、そのような人を好ましく思っていたか、少なくとも、作品世界の住人はおだやかで、子供からお年寄りまでいつも臨戦態勢で肩を怒らせている現代人の世知辛い私たちとは違う国の住人のような気がしました。

戦争が終わって数年の昭和 25 年ごろと、辰弥が生まれた大正 11 年ごろの、その当時の人々の暮らしぶりや生活習慣、山奥の村の伝統や風習などが細かく描写されているので、見たことのない昔の情景があたかも今見たような気になるほど、淡い郷愁の心と、わたしの小さな知識欲にこつんこつんと触れ、満たされる心地よさがありました。

詳しいあらすじは、ネタバレ危険なのでここでは言いませんが、初めて読んだ時にもうっすらと思ったのですが、この作品は甘いロマンスとしても十分楽しめる側面あり、と改めて感じたこと、声を大にして言います。
横溝正史大好き読者にしたら、「何をいまさら」とか、「そんな当たり前のことを」とか、お叱りの声を多々頂戴するかもしれませんが、横溝正史大好き読者の皆様すみません。

辰弥が恋に落ちていく様やヒロインの女性の辰弥への思い、少しずつ恋愛は進んでいきますが、進んでいくその過程一つ一つのエピソードのなかのセリフや出来事、胸中の思いなどなど、微笑ましく思う心や、そのリアルに(なるほどー)と納得する心、いろいろな種類のわたしの中の心たちが、小さく、大きく、心地よく波打つのでした。

横溝正史が読者に対して戦略的に、ち密に、隅々まで計算しつくして描いた物語、
読了後のわたしは、(まんまとしてやられたり!)(まんまとはめられたり!)と著者の術中にはまったことを喜ぶとともにあふれでるにんまりとした心の叫び、

素敵な時間をありがとう

八つ墓村読んでよかった~